こんにちわ、はまやんです。私の行動により翌年大学の制度が変わり年間取得単位に上限が設けられました。ワロタw
今回は大学時代にめちゃくちゃ単位取ったお話です。でも、お手本にはしないでくださいね笑
これは2012年-2013年の話です。現在は取得単位に上限を設けている大学が多く参考になるかは別としてこんな人もいるんだくらいで読んで頂けると嬉しいです。
私は留年せず大学を4年間で卒業しました!こう聞くと多くの方にとっては普通の事かもしれません。しかし当時21歳の私にはとてつもなくハードルが高いものでした。サボり癖、何事も中途半端、投げやり、無気力、お酒、遊ぶ。これがリアルな21歳の私だったかな。
卒業できる条件は4年間でおよそ120単位以上取得していることでした。しかし私の大学3年生の終了時点で60単位しか取得しておらずほぼ留年確定の絶対絶命の状況をどう乗り切ったか!
とにかくアクセル全開!
結論から言うと夏期講習、冬季、春すべての特別講義を受講し単位認定される資格をかたっぱしから取り、睡眠時間を削り朝まで課題をやりオールで講義に行くこともありました。
そして1年で64単位を取得!合計120単位以上をクリアし何とか卒業できました。
同時並行で就活も行い新卒で東証一部上場企業に新卒入社も達成。裏技的な事ではなく申し訳ないですが圧倒的に行動し驚異的な単位数になってます。でも必死に頑張った経験は今の社会人生活でも活きているなと時折感じます。人間やればできる!
もちろんお手本にはしないでくださいね!当たり前ですが毎日しっかり授業に行きましょう!
大学の取得単位について詳しく記載されている記事があったのでリンク付けておきます。
現在は年間最大で48単位が上限というのが一般的です。

大学は遊ぶ場所!毎日が日曜日!アルバイト→飲み会カラオケ→バンド活動→アルバイト…の日々。まさに絵に書いたような「大学は人生の夏休み」とは良く言ったものです…
目次
大学1年次は6単位→大学から呼び出し

当時の私はホントにダメダメでしたね。高校は県内でも有数の進学校に行き全く遊ぶことができず、その反動もあり大学に入ってからは毎日のように友達や先輩の一人暮らしの家に入り浸りゲームしたりお酒浴びるほど飲んだり、当時はバンドもしていたので楽器を楽しんでいました。
コレ自体何も悪くないのですが、私の場合は全く大学の授業に行かなかったんですよ!もう全くです!
朝日が登るまでお酒を飲み目が覚めるのはお昼2時過ぎ、そこからまたダラダラして4時くらいに大学に行ってサークルの部室でおしゃべりして夜はアルバイトに行き、深夜にバンド練習をして、居酒屋へ行ってお酒を朝まで飲む。気づけばこれを1年繰り返し取得単位「6単位」となった訳です。そしてこの6単位もゼミ前後期で4単位、出席するだけで取れる授業でした。
いやーーーホントにクズでしたねーーー
結果、教授から呼び出しを受け勉学に励む気がないなら今すぐ退学するか、次年度から心を改めるか選択を迫られました。このときの私はクズですからまだダラダラしたいと考え「がんばりまーす」と軽く答えましたw
大学2年次は36単位、3年時は18単位

人間、カンタンには変われない。私は結局、丸々3年間流れるがまま遊び呆けてしまいました。
ですがこの3年間良いこともありました。親友と呼べる人に出会えたり、彼女ができたりとそれなりにキャンパスライフを楽しんでいました。またこの時期はかなり辛いことがあったり、人を裏切ってしまったり迷惑を掛けたりココに書けないような事もたくさーんしてきました笑
常にボーっと生きてきた3年間。大学卒業が危ういと初めて実感したのは3年生の春。だいぶ後悔しました。過去の自分が嫌になりました。もう遅い、何をやってんだ自分!というような感じでしたね。
やる気スイッチON

3年生の春休み。友人の遊びの誘いも全て断り1人実家のベッドで1周間引きこもり、考え悩みました。
今まで自分は人生で何も成し遂げたことがないんじゃないか、いつも中途半端で投げ出す、嫌なことは避ける、言いたいことも言わない言えない、自分の意見がない、自分は何者だ、大学の学費も馬鹿にならないのに親は背中を押してくれたその気持ちも踏みにじっている、このままサボり人間として生きた時、私の人生はどうなるのだろうか、などなど。
この1周間にわたる「自己反省会」が私の「人生」を大きく変えたと思います。いやー引きこもって良かった!
3年間悠々自適にわがままに生活をしてきて自分が情けなかったですねー。せめて爪痕くらい残してやろう!卒業できるか分からないけど一度とことんやってみよう!人生を再設計してやる!そう素直に思えました。
この時スイッチがキレイに切り替わったのを今でもハッキリ覚えています。この日から目がバチバチにギラツきはじめました。
4月新年度が始まり周りの友人も変わりました。
悪い仲間はとはほぼ遊ばなくなったので影では「アイツ付き合い悪くね?」とか言われてたと思いますが、自分の人生の再設計に必要ない人間などは徹底的に排除しました。その変わり真面目な友人や同じ境遇の卒業を諦めていた人たちと仲間になり切磋琢磨することができました。
1年で64単位取得するためにやったこと

ギラギラにやる気を出した私はまず受講できる講義は全て入れました。スケジュールは朝9時から夕方6時半までフルで講義が入っていました。まず4年生の時間割じゃないですよね笑
努力の日々が始まりました。
夜の7時から12時まではアルバイトをし帰ってから3時4時まで課題やレポートを書き翌朝8時に起床し講義→アルバイト→自習みたいなサイクルでした。当時は毎日睡眠不足でしたが講義は一切寝ないと誓っていたので気合で乗り切りました。講義で寝てしまうと講義についていくために夜中に勉強しないといけなくなるので意地でも寝ずに講義に集中しました。
1講義だけ単位取得が掛かったテストに落ちてしまいましたが、講義あとに教授の部屋まで行き「課題をくれ!」だの「チャンスをくれ!」だの散々懇願しましたがその時は断られてしまいました。この方は大学内でも有名なド真面目で厳格な方だったため諦めていました。が!熱意が届いたのか3日後にメールが届きレポート課題を提出すれば特別に単位認定すると連絡が!これはホントに泣きそうになりました。本当に感謝です。熱意は届く!
また、本気度がこのレベルになってくると周りの友人たちが異変を察知し始めます。アイツ最近付き合い悪いよな、どうせ卒業できないから諦めて遊ぼうぜ!などなど今考えれば切って良かった縁だった人もいると思っています。
現在30歳ですがもうその人たちとは大学以来一切連絡を取っていませんね。このときから何か頑張っている人を馬鹿にしたり邪魔する人はとことん距離を置くようになりました。
他にも夏期講習、冬季、春の特別講義もすべて参加しました。「すべて」→講義の時間がタブっても教授に直談判し受講の許可を頂きました。当時の教授たちはとても親身になって話を聞いてくれとても感謝しています。
話す上で大事なポイントは、「3年間クソ遊んだ自分が悪いのも自覚してて人生変えたい、どうしても汚名返上・下剋上をしたいから協力して!」です。運が良いことに断れることはなかったです。
他にも、法律系の学部だった為、法学検定やワード・エクセル検定、中国語検定などを受けました。
夜が明けるまで勉強し見事合格。単位認定していきました。→人間やればできる!
この時期は本当に命削って大学に行ってましたね。眠いし毎日全力だし相当きつかったんですが、そもそも1年生の時から真面目に授業受けてればこうはならなかったんですけどね笑
大学4年の2月から就活を開始

みなさん、大学4年の2月ですよ?普通諦めませんか?
単位の取得であまりに忙しくて就活などできる余裕は全くありませんでした。
少し余裕が出たのが2月ごろ、あまりに遅すぎるスタートのためどの企業に行っても面接で詰められました。「意識が低い、だいたいこの時期まで何やってたの、単位足りないのは自己責任だよね? そんな自己管理できない人はいりません帰って下さい!」とか言われるのは普通でしたね笑→この帰ってください!と言われた企業に2週間後、再度面接希望の連絡をし熱意が伝わったのか、人事が諦めたのかは不明ですが就職する事ができました。
若い時の勢いって大事ですね!
2013年の話なので今とだいぶ様相は違っていると思いますが当時は割と圧迫面接呼ばれる面接スタイルが一般的でした。
集団面接でたまに泣いてヒクヒクしてる女の子とか泣きすぎて退出して帰ってこない人とかもいるくらいでした。大声で否定されてその反応や返事の内容で学生の技量を推し量るみたいなスタイルが多かったように思います。おそらく自分の就活スタートが遅いので企業側もあえて厳しくしたのかもしれませんね。
とことんやればきっとできる!

諦めずに一つの目標に執着すること、必死に継続して頑張ること、圧倒的に行動し続けること、目標達成のためなら人目なんて気にしない。今もこの経験はわたしの糧になっています。
当時は周りから「無茶だ、アホか、現実を見ろ、諦めろ」とたくさんの方に言われましたが見返してやったときの達成感たるや!かなり気持ちよかったですね笑
そもそも、みなさんは大丈夫かと思いますが…大学はちゃんと行きましょうね!
最後まで読んで頂きありがとうございました。